映画「国宝」をAmazon Prime Videoで観たことがきっかけで、原作小説を読むことにしました。映画は物語をぎゅっと凝縮している分、「あれ、なぜこの部分が省かれたのだろう?」と気になる箇所がいくつかあり、調べてみると「原作ではきちんと説明されている」というブログをいくつか見かけたので、それならばと原作に手を伸ばした次第です。
作者が吉田修一さんだったという発見
読み始めてから気づいたのですが、「国宝」の作者は吉田修一さんで、「横道世之介」の作者でもある方でした。「横道世之介」は原作こそ未読なものの、映画版が非常に好きで、じんわりと心に沁みる作品だと感じていました。
実は一時期、高良健吾さんが出演している映画はどれもハズレがないのではないか、と気づいたことがあり、彼の出演作を意識的に追いかけていた時期があります。その流れで出会ったのが「横道世之介」でした。ほかにも「ソラニン」や「フィッシュストーリー」、「苦役列車」などを観ていたのもその時期です。同じ作者の作品にこうして再び巡り合うというのも、なかなか面白い縁だと感じました。
圧倒的な分量と、登場人物の厚みに驚く
原作を読んでまず驚いたのは、その分量と登場人物の多さ、そして一人ひとりの描写の深さです。これだけの情報量を一本の映画に収めようとすれば、当然どこかを端折らざるを得ないだろうと、素直に納得しました。
象徴的だったのが、徳次という人物です。映画冒頭で主人公と共に歌舞伎の一幕を演じる、いわば兄弟分のような存在として登場するものの、それ以降はほとんど深掘りされません。しかし原作を読み進めると、徳次は物語全体を通してかなり重要な位置を占めるキャラクターでした。原作を読む前に目にしたブログで「徳次ファンが多い」という話を見かけていたのですが、読んでみてその人気に納得できる、実直で情に厚い人物として描かれています。
彰子という人物をめぐる違和感と発見
個人的に最も気になった人物は彰子です。映画では、主人公・喜久雄(吉沢亮さん演じる)が歌舞伎の世界から干された後も彰子はついていき(この時点ですでに「なぜ?」と疑問を感じていました)、その後、彼を見捨てる描写が挿入されます。
ところが原作を読むと、彰子との関係はほぼ物語の終盤まで続いていました。決して良好な関係とは言い切れない側面もありますが、映画のようにきっぱりと関係が終わるわけではなかったという点は、大きな発見でした。
映画を観ていて最も理解に苦しんだのが、喜久雄が表舞台に復帰していく展開です。原作を読むと、これには彰子の父親の口利きが大きく関わっていたことがわかります。映画では彰子の父親とは終始不仲な関係のまま描かれ、映画の中ではそこまでメインではない扱いだった彰子という人物も、物語の構造上かなり重要な役割を担っていたのだと気づかされました。
喜久雄が彰子と関係を持った動機はかなり打算的なもので、映画ではその打算に彰子が気づいている明確な描写はなく(車の中からその件についての喜久雄と俊ぼんの言い争いを見つめるシーンはあるものの、聞こえているのか?と思っていました)、そこにとどまっていればまだ理解できたのですが、原作では喜久雄本人からその打算を打ち明けられたあとも、彰子は彼のそばにい続けることには驚きました。
正直なところ、彰子の実家の経済力を考えれば、騙されていたと分かった時点で喜久雄を見限り、実家に戻るという選択肢もあったはずです。関係を持つ以前から彰子には喜久雄への好意的な様子が見て取れたとはいえ、そこまで連れ添う理由には、率直に言って個人的にはまだ腑に落ちきらない部分があります。
自分が騙されていたという事実を前にしても、あえて合理的な判断をせず、意地を張るようにしてそのまま連れ添い続けるところに、ある種の人間味を見出すべきなのかもしれません。あるいは、梨園という特殊な世界に生まれ育った人間として、一度歌舞伎役者の妻になると決めた以上、そう簡単には後戻りできないという事情があったのかもしれません。
物語の終盤では、彰子にも不義理を思わせる描写が現れます。最初は「もうこの年齢なのにそんな」と驚いたのですが、相手とはかなり以前から行動を共にしていたことを踏まえると、その関係はもっと早い段階から存在していたのだろうと想像できます。喜久雄がそれに気づいていたのかいなかったのかは判然としませんが、この事実そのものが、彼の孤独をより深いものにしていく要因の一つだったのではないかと感じました。
余談:オーディブル版の分量に驚く
余談ですが、夫はこの作品をオーディブルで聴こうとしていたようです。調べてみると、上下巻それぞれで再生時間がおよそ24時間弱かかるとのことでした。あらためて、この作品の情報量の多さを実感させられる数字です。
まとめ
- 映画「国宝」で感じた違和感の多くは、原作を読むことで解消された
- 作者は「横道世之介」と同じ吉田修一さん。作品を通じた思わぬ縁を感じた
- 徳次をはじめ、映画では描き切れなかった登場人物の厚みに驚かされる
- 彰子と喜久雄の関係は、映画よりも複雑かつ長く続くもので、その心理は簡単には割り切れない
- 表舞台への復帰には彰子の父親の存在が大きく関わっており、暁子という人物の重要性にも気づかされた
- オーディブル版は上下巻合計で50時間近くにおよぶ大作
映画を観てから原作を読むことで、映画では描き切れなかった人物たちの内面や関係性の機微に、より深く触れることができました。映画を先に観ていたからこそ気づけた発見も多く、両方に触れることでより一層楽しめる作品だと感じています。