みみみ@読書好き理系社会人の日記

しがないコロナ世代の会社員の日常です。転職経験あり。

大学のシステムと修士論文へのやる気

 こんにちは。

 今日も今日とて修士論文の仕上げ作業で引きこもっています。

 

 私は研究室にいる2年で複数の論文を書く成果と機会が(幸運なことに)あったので、それをベースにして修士論文を書いているのでちょっとだけ気持ちは楽です。 

 あまり実験をしていなくて、論文もほぼ書いたことがなくて、さらに計画的に作業をしていなかったために今になって焦りまくっている私の研究室の同期を見ていると特に気持ちが楽になります(笑)。

 

 修士論文を書いていてたまにふと思うんですが、修士論文を頑張って、クオリティの高いものを仕上げる動機って何なんでしょうね。もちろん、内容も全く筋が通っていないようなものを書くのはだめだし、研究室の指導教員にも失礼じゃないかなとは思いますが、一定の満足を超えてしまうと、それ以上、上を目指さなくていいかな、とか思ってしまいました。

 これが何故なのかなって考えると、もしかしたらもっと厳しい大学は他にあるのかもしれないんですが、私の大学院の場合って、修士論文は提出さえすれば単位があるんですよね。もちろん論文提出後に発表もあるので、あまりにも内容がちゃんとしていなければ教授たちからの質問タイムが地獄にはなるかと思いますが。

 つまり、提出さえできれば、卒業が約束されるんですね。修士論文のクオリティが最悪でも、提出して、発表の質問タイムすら耐えれば卒業できるんです。

 

 これまで、修士論文以外のジャーナルに投稿する論文には明確な動機がありました。研究の成果を世に出すことができる、と共に、奨学金の免除申請のための成果になるということです。

 これは結構大きいです。大学院の2年間だけでも、月5.5万なら約120万、月8.8万円なら約200万円の借金を背負った状態で社会人になるんです。これが、もし半額免除になるならそれぞれ約60万とか100万とかが免除になるんですね。最高。

 

 まあ一応修士論文奨学金免除の成果として提出するんですが、みんな書くものだし、差がつきにくいんじゃないかなと思います。

 ここまでくると、修士論文へのモチベーションを上げてくれるものは、修士論文の発表で研究室の学生たちにデキる奴だと思われたいという自己顕示欲と、3年間面倒を見てくれた指導教員に対する最低限の礼儀くらいですね。私は比較的真面目な人間なので多少はこれでやる気が保たれていますが、これまでのジャーナルに投稿する論文を書いているときと比較すると天と地ほどの差です。仕方ないですね。

 

 そもそも、大学全般のシステムとして、日本の大学って入学は難しいけれど卒業が簡単だとよく言われているように聞きます。正直そこまでくわしくはないですが、私の大学内で見渡してみても、国立大学のわりに授業の単位をとるのが簡単だなと思います。アルバイト先の私立大生はもっと楽だとか言っていました。

 教授からしても、あまりにも学生たちの単位を落としすぎると大学側から口を挟まれる場合があるようです。 

 正直、大学なんて、進級や卒業が難しいほうが勉強するモチベーションが上がって、それならサークルの合間にも勉強することで計画性が磨かれたり、優秀な学生が増えるのではないかと思うし、仮にそれで留年する人たちが多く出たとしても、余分に在籍する期間の学費が納入されるのならそれは大学側に利益になるのではないかと思うのですが、それが一般的ではないということは上記がそこまで単純な話ではないということでしょうか。

 留年が多いという評判が広まるとそれはそれで大事な子供を入れるのが不安だという親が多く表れて大学の人気が下がってしまうのでしょうか。

 少子化が進んで大学への入学者は減っていっているそうですが、だからといって無理に下限を下げて優秀ではない大学生や卒業生を生み出すのはどうかと思ってしまいます。

 大学内を見渡していても、こんな人でもこの大学を卒業して、最終学歴が同じになるのかと思えてくる対象がいます。正直嫌です。

 大学なんてピンキリだから仕方はないのですが。

 

 後半ただの愚痴でした。修士論文頑張ります。では。